Guru

この小説のような何かについて

 このStringは東方Projectの二次創作です。この話は「弾幕アマノジャク」後のIFの物語であり、とある異変が始まるまでの過程です。つまりは続編が出ると儚く散る定めにあります。その都合上、独自設定が大量に混入しています。

 私が最も好きな東方キャラはリグルですよ。たとえこんなものを書いていたとしてもね。リグルは大きなものには逆らいようがない奴なんです、私にとっては。

 「蟲姫様と反逆者」のリメイクです。内容は大きく変わりました。結構力を入れたつもりではありますが、現実はこんなものです。それでも貴重なご意見を頂けました。ありがたいことです。

 初出は東方創想話ジェネリックの「Guru」 ()です。そそわデビューです。ジェネリックですけど。 pixivにも「Guru 前編 ~少女、お尋ね者と出会う~」 と「Guru 後編 ~蜘蛛の糸~」として掲載しましたが、コメントも評価もつきませんでした。長すぎたのと結局は詰まらなかったのが原因でしょうね。

Guru

 彼女は言葉を発することはできないが、周囲の音は聞こえるらしい。私たちは彼女に作戦について伝え、協力を依頼すると、何匹かの蝿を石碑の上に「ワカッタ」という形で並ばせた。彼女は了承してくれたらしい。

 私は残りの作業を仲間たちに任せ、地下室を出た。そして、周囲が見える程度の高さまで飛んだ。辺りを見回すと、いくつかの点滅する黄緑色の光の点が一つの方向へ向かって動いているのが見えた。小さな光が向かう方向には、もっと大きな光の塊が、他の光の点と同じように輝いているのが見えた。

「最初にあいつの話に乗ったときは暇つぶしのつもりだったんだけどな。まさか、こんなに大事になるとはね」

と私は言った。誰に言ったわけでもない。強いて言えば、自分に言い聞かせたといったところだ。そして、

「許してくれよ、リグル」

と私はつぶやいて、光の集まるところに急いで向かった。


 人里から少し離れた林の中に道がある。妖怪が度々出没するこの道は、真昼間でさえ人通りが少なかった。この道を使うのは急ぎの重要な用事がある者だけである。まして、夜中ともなれば、人が通りかかることは滅多に無かった。

 その林の中の一つの木のその枝に、緑色の髪の毛をした少女が座っていた。一見すれば洋装の人間の少女に見えるが、頭から突き出た触角から、人ではない何かであることが窺い知れる。

 彼女が枝に座りながら道の方を向いていたのは、道を人が通るのを待っていたからである。妖怪は人に迷惑をかけ、恐怖を与えるための存在である。ときには外来人を食べることもある。だから、彼女が人を待つのは妖怪としては当たり前の行動だった。

 しかし、実のところ、収穫はほとんど期待できないことを彼女は知っていた。妖怪が出ると評判の道に好きこのんで通る人間はほとんどいない。だから、彼女は一日のほとんどをぼんやりとして過ごすことに費やしていた。いかにして人を怖がらせるかと考えたり、自分の眷属の蟲たちの動きを眺めて楽しんだり、特に何も考えなかったりしていた。

 だから、この日も彼女は枝に座ってぼんやりと配下の蛍たちの光を眺めていたのである。彼女は蛍たちに話しかけた。彼女の言葉に蟲たちがまともに返答したことはあまりないが、壁に向かって話しかけるよりは暇つぶしには適していた。

「どうしようかな。スペルカードのネタは尽きたし、練習も十分やったしね」

 蛍たちは肯定の意の返答をしたが、それ以上に意味のあることは発しなかった。蟲の言葉は触角で感知し、音と臭いが混じったような感覚で伝わってくる。

「暇だね。人里を襲ってみようかな。でも、人里を守っているとかいう変な妖怪が邪魔だね。ね、君たちはどう思う」

 彼女がそう言っても、蛍が返事をすることはない。蟲たちが肯定か否定以外の返答をすることはあまりないし、そのことをリグルは分かっていた。ただ、一人で黙っているよりは、誰かと話をする方が面白いと思っていた。

 そうして、彼女が蛍の動きを眺めていると、蛍たちの照らす光の中に、不意に何者かの顔が浮かび上がった。

「ひえぇ」

 彼女は不意をつかれて妙な叫び声をあげてしまった。だが、蛍たちの光に照らされた、その何者かの姿をよくよく見れば幼い少女の形をしていた。頭に小さな角が二本生えていて、髪の毛の先端がところどころ赤いのが特徴的である。単に彼女の前に妖怪が姿を現したというだけだった。その妖怪は彼女に話しかけてきた。

「あ、驚かせてしまいましたね。すみません」

 彼女は先ほどの一人言と叫び声を思い出して顔を少し赤くした。

「え。あ。いや、別に驚いてないわよ」

「もしかしてリグルさんでしょうか」

「そ、そうだけど。何か用でもあるの」

「いや、ちょっとリグルさんとお話がしたくてですね」

 リグルは自分と話がしたいと言うその妖怪を訝しく思いながら、

「あなた、名前は」

と言った。その妖怪は

「正邪です。鬼人正邪といいます」

と名乗った。リグルは

「セイジャ……さんか」

とつぶやいた。リグルには「キジンセイジャ」という名前に聞き覚えがあった。セイジャなる人物の評判について思い出すのに時間はかからなかった。

「あなた、もしかして、だいぶ前に異変を起こしたっていう天邪鬼の」

 正邪と名乗った妖怪はわずかに表情を変え、少し黙って、

「まあ、確かにそうですけど」

と言った。リグルは怪訝な顔をした。

「お話って、まさか、私をあんたの企みの片棒に担ごうっていうつもりじゃないわよね」

「いや、違います。私はただあなたとお話がしたかっただけで」

「天邪鬼の、しかもお尋ね者だった奴の言葉なんて信用できないわ」

 正邪は困ったような表情で

「あの、お話だけでも聞いていただけませんか」

と言ったが、リグルは

「私を騙そうったってそうはいかないわ。巫女に突き出したりはしないから、その代わりにさっさと帰ってちょうだい」

と言って正邪を突き放した。正邪はうつむいて、「そうですか」と呟くと、リグルに背を向けた。

「後日、また伺います。そのときは、是非ともお話しましょう」

 そう言って、正邪はどこかに飛び去ってしまった。正邪の後ろ姿は夜の闇の中にあっという間に消えてしまった。リグルは正邪の飛び去った方向を見ながら、

「何だったのかしら」

とつぶやいたが、誰も答える者はなかった。蛍たちは音もなく瞬くだけである。夜の林は再び静かになった。

 次の日の夜も、リグルは林の中で木の枝に座って道の方を眺めていた。ときどき、人の形をしていない者は通りがかったが、人の姿をした者は一向に歩いてくる気配はない。リグルがあくびをしていると、リグルのいる木の根本から声がした。

「リグルさんですか」

 声の主はリグルのいるところの高さまで飛び上がり、空中を浮かびながら再び話しかけてきた。

「ここにいたんですね」

 それは昨日の天邪鬼だった。正邪は人懐っこい笑顔を浮かべている。手には風呂敷包みを抱えていた。リグルは訝しげな表情を隠さずに、

「またあなたね。一体何なのよ」

と言ったが、正邪は

「お話をしに来ただけですよ」

と言うばかりだった。

 リグルは再び追い返そうかと考えて「帰って」と言おうとしたが、正邪はその言葉を遮るように風呂敷包みから何かを取り出した。

「これでも一緒に食べながらね。いいでしょう」

 それは果物だった。リグルは怪訝な顔つきではあったが、「話だけなら」と答え、正邪の手から果物を受けとった。

 結局、正邪は世間話やちょっとした身の上話をするだけだった。リグルは正邪の話に合わせて適当に返事をしたが、正邪の意図は分からなかった。話を始めて数時間後、正邪は話を切り上げて、

「また来ます。さようなら」

とだけ言って帰った。リグルは正邪の背中を見ながら「さよなら」とだけぼそりと言った。正邪の姿が見えなくなると、リグルは不思議そうな表情で、正邪の飛んでいった方向を眺めながら、

「何しに来たんだろう」

とつぶやいた。

 正邪は言葉通りに次の日の夜もリグルのもとを訪れた。その次の日も、またその次の日も正邪はリグルに会いに来た。そして、世間話をして帰っていった。正邪はリグルに会う度に土産物を持ってきた。何度も話を交わすうちに、リグルの正邪への警戒心は不思議と徐々に薄れていった。そのうち、リグルも菓子や果物なんかを用意するようになったし、私的な話を交わすようにもなった。流石に毎日会うというわけではなかったが、正邪とリグルは頻繁に面会するようになった。ときには一緒に遠出に行くこともあった。リグルは正邪の立場を考慮して、二人だけで密かに人気のないところへ出かけた。

 ある日、正邪がリグルのもとを尋ねたとき、リグルは正邪を連れて近くの小さな池に行った。リグルは沢山の蛍を操って、蛍の光で様々な紋様を作った。光の紋様は点滅しながら、次々と形を変えていく。リグルと正邪は光の変化を池の近くの高台で眺めていた。その場所では、蛍たちが池の上を滑るように飛ぶ風景を眺めることができた。蛍たちの光が川のような直線的な流れを作っていたとき、正邪はリグルに話しかけた。

「きれいだね」

「私の得意技よ。私はどんな蟲でも操ることができるけど、いちばん得意なのはやっぱり蛍ね」

「どうやって操っているの」

「まあ、なんというか、蟲たちと会話して指示する感じかな。何回も一緒に練習しているから、皆間違えずに動けるのよ。弾幕ごっこにも活かしているわ」

「ふうん。なんかすごそうね」

「そんな、たいしたことじゃないわよ」

「謙遜しなくていいのよ。私、今までにこんなにきれいなものを見たことないもの」

「そうかな」

「そうだよ」

 二人は会話を打ち切り、それからしばらく蛍たちを黙って眺めていた。池の上の光の塊は次々と動きを変えた。池の上に輪郭だけの花が咲き、そして散っていった。散った花びらは池を中心に旋回し、並び変わって幾何学的な図形を作り出した。その図形は次々と形を変えていった。蛍たちが三角形を組み合わせた図形を作り出したとき、不意に正邪はリグルに

「リグル、最初にあなたに話しかけたとき、実は、私はあなたと友達になりたくてそうしたのよ」

と言った。リグルは正邪の方に顔を向けた。正邪の横顔が蛍の光に照らされて、見えるようになったり消えたりを繰り返している。

「私は力もないし、天邪鬼だから嫌われ者で、友達がいなかったのよ。誰も私に取り合おうとしなかったわ」

「それで、何で私と友達になろうと思ったの」

「リグルは沢山の蟲を連れているという話をどこかで聞いてね。沢山の蟲を友とするあなたなら、こんな私でも友達になってくれると思ったの」

 蛍たちは離合集散を繰り返す動きをしていた。池の中心に集まって一つの小さな円のような形になったかと思えば、素早く離れ、そしてまた集まる。

「私はそんな大層なものじゃないよ」

「でも、リグルは私の初めての友達なのよ。それに、リグルに会ってから、こんなに楽しい日々を過ごせたわ。こんなの生まれて初めてよ」

「何か照れるわ。私なんて大したことしてないわ。褒めても何も出ないわよ」

 リグルは池の方に向き直った。

 蛍たちは池の中央を中心に列を作って大きく旋回していた。時計回りに回るものがいれば、その逆方向に回るものもいる。

 正邪は少し黙ったが、再び静かに話し始めた。

「リグル、私は今まで話さなかったけど、私は幻想郷の弱者のための活動をしているのよ」

「弱者のための活動?どういうこと」

「幻想郷では妖怪や人間の強さに大きく差があるわ。そして、強者は弱者を支配し、弱者は強者に虐げられている」

「確かにそうかもしれないわね」

「リグル、私はね、幻想郷を誰でも平等な世界に変えたいのよ。私は毎日、そのための手段の研究をしているの」

「なんかすごそうなことをやっているのね」

「そんなに大したことではないよ。実際、大したことしてないし。あのときの異変も幻想郷を変えるために起こしたのだけど、結局失敗しちゃったわ」

「それでも、私は正邪のこと、立派だと思うわ」

「そうかな」

「そうだよ」

 リグルは正邪の方に向いた。

「あのさ、話が変わるけどさ。正邪、私と最初に会ったとき、私、あなたにひどいこと言ったでしょ」

 正邪もリグルの顔を見た。

「ああ、別に気にしてないよ」

 正邪は微笑みを浮かべていた。

「本当にごめんなさい」

「仕方ないわ。私だってお尋ね者をまともに取り合おうとは思わないよ。むしろ、リグルは優しいと思うよ。こんな私を受け入れてくれたんだから」

「正邪、ありがとう」

 リグルは笑みを作って正邪に言った。

「その代わりってわけじゃないけど、もし、何か私にできることがあったら言ってね。協力するわ」

「そんな、リグルが手伝う必要なんてないよ」

 リグルは立ち上がった。正邪は蛍の光に照らされたリグルの顔を見上げた。リグルの外套が風になびいた。

「正邪、友達っていうのはね、協力し合うものなの。理屈抜きに助け合うものなのよ」

「リグル……」

「ひどいことを言っておいて、こんなことを言う資格はないかもしれないけど、私、あなたのこと、応援するわ」

 正邪も立ち上がり、リグルの方に体を向けた。蛍たちはいつの間にか、池を離れて、二人のいる高台にいた。そして、二人の間を取り囲むように飛んでいた。

「リグル、今は特にないけれど、何かあったら力を借りてもいい?」

 リグルは右手を差し出した。

「もちろん」

 正邪は一瞬体を硬直させた。しかし、すぐにリグルの行動の意味を理解したのか、そっとリグルの右手を握った。蛍は二人を取り囲み、光の世界に閉じ込めた。


 リグルと正邪の関係はそれからも続いた。その日も、正邪はいつも通りにリグルに会いに来て、軽く世間話をした。そして、急に真面目な顔になって、リグルに話を切り出した。

「リグル、実は手伝ってほしいことがあるの」

「何、どうかしたの?やぶから棒に」

「私が弱者の救済のための活動をしているっていう話、したよね」

「ええ、そうね」

「それで、ある重大なものを発見したんだけど、私一人では手におえなかったのよ。それで、リグルの手を借りたいんだけども」

「私にできることだったら力になるわ。一体何を見つけたの」

 正邪は顔をリグルの顔に近づけた。そして、声を潜めて語りだした。

「リグル、かつて、蟲が幻想郷で力をもっていたことは知っているよね。それじゃあ、蟲の勢力が弱まった理由を知っている?」

 リグルは顔を曇らせた。そして、少し黙ってから答えた。

「私がここに来たときには、既に蟲妖の力は弱まっていたわ」

「リグルが知らなくても無理はないわ。実は、幻想郷には隠された蟲の歴史があるのよ」

「どういうこと?」

「昔、幻想郷には蟲を率いるリーダーがいたの。その妖怪は数々の蟲妖を率いる強さとカリスマをもっていた。蟲妖がかつて恐れられていたのは、この妖怪の存在があったからと言ってもいいくらいにね」

「その妖怪って一体誰なの?」

「それが、ある理由により、名前などが分かっていないの。分かっていることというのは、少女の姿をしていたことと、蟲妖を率いていたこと、そしてどこかに封印されているということだけ。そもそも、この妖怪の存在を知っている者もあまりいないの。その数少ない者たちからは『女王様』と呼ばれているわ」

「封印?その『女王様』っていう妖怪や蟲妖たちに一体何があったの」

「女王はあまたの蟲を引き連れて大暴れしたことがあったらしいわ。それで人間たちが蟲と戦い、女王は敗北してしまったの。ただ、女王はあまりに力が強かったので殺されはしなかったのだけど、特殊な封印を施されてしまったらしいわ。その後、蟲妖の生き残りは地底に追いやられたそうよ。しかも、女王の跡目争いが起きたらしく、その影響で蟲は没落してしまったらしいわ」

「それで、女王の名前が分かっていない理由ってなんなのよ。もしかして、その特殊な封印っていうのが関わっているの」

「流石、リグル。そのとおりよ。人間たちは女王を殺せなかった。だから、封印することにしたのだけど、それだけでなく、封印に二つの仕掛けをしたのよ。一つは、女王が封印を破れないように、徐々に女王を弱体化させる術。もう一つは、誰かが女王の封印を解かないように、女王の存在を忘れさせる術よ」

「なるほどね。でも、それじゃ、誰もその女王のことを覚えていないんじゃないの?」

「ごく一部だけど、女王の存在を覚えている妖怪がいたのよ。女王の力が強すぎたから、封印の効果が完全ではなかったみたいでね。私はその妖怪たちから話を聞くことで、女王の存在を知ることができたわ。私たちが女王の封印を解けば、きっと女王は私たちの強力な味方になってくれるはずよ」

「でも、封印の場所が分からないんじゃないの?」

「それも既に調べがついているわ」

「すごいわ、正邪。でも、そんなに調査をするなんて大変だったでしょう。私の能力を使えば、もうちょっと調査が楽になったと思うわ。私の配下は難しいことはできないけど、簡単な情報収集くらいはできるもの」

「いえいえ、リグルの手を患わせるほどのことではないわ」

「そんなに謙遜しなくても。今度、調べ事があったら、私に声をかけてね。蟲を動員するわ」

 正邪は

「そうね。今度、何かあったらお願いするわ」

と微笑みながら言った。そして、「今度があったらね」と小声でつぶやいた。

「え、何か言った」

「ううん、何でもない」

「そういえば、私に頼みって?」

「ええ、実は、封印のありかは分かったのだけど、その封印を解くのに、どうやらリグルの力が必要みたいなの」

「私の力?『蟲を操る程度の能力』のこと?でも、それが封印に必要ってどういうこと?」

「いや、リグルの能力、というよりも、リグルの役目が重要って感じかな。リグルの蟲を統べる立場が重要なの」

「なんだかよく分からないわ」

「封印されている妖怪がかつての蟲の統率者だったからね。まあ、来てみれば分かると思うよ」

「ふうん。そういうものなのかな。まあ、その場で分かるならそれでいいわね。それじゃ、早速出発するの」

「もう遅いから明日にした方がいいわ。おそらく、封印を解除するのには結構時間がかかるしね。だから、待ち合わせをして、そこから封印がある場所に行くことにしましょう」

「待ち合わせ場所はどうする?」

「そうね、私は特に考えてないけど。リグルはどこがいいかな」

「それじゃ、あの池にする?あの、二人で蛍を見に行った池」

「ああ、いいね。そこは都合がいいわ。そこにしましょう」

「決まりね。そういえば、何か必要なものとかはあるの」

「いいえ、私は色々と準備しておくけど、リグルは身一つで来れば問題ないわ」

「分かったわ。何だか最近平和で暇だったから、ちょっと楽しみ」

 その後、二人は待ち合わせの時刻を確認して、それから別れの挨拶を交わした。

 次の日の夜は新月だった。リグルが待ち合わせの場所に現れたときには、既に正邪は池の近くにいた。池には蛍はいないため、正邪がもっている提灯の明かりがなければ、辺りは真っ暗だっただろう。

「ごめん、待った?」

「大丈夫。リグルが待ち合わせに少し遅れても問題ないように、早めに設定してあるからね」

「えー、ひどーい」

「ごめんごめん。ところで、その荷物は?」

 リグルは手提げ鞄をもってきていた。

「何も持ってこなくていいって言われていたけど、蟲たちに果物を集めさせておいたの。果物っていっても大したものじゃないけどね。それよりも、正邪の荷物、一体どうしたのよ、それ」

 正邪はリュックサックを背負っていた。リュックサックは正邪の小さな体には不釣合いに大きい。

「封印の解除には色々と道具が必要なのよ」

「重そうね。ちょっと持とうか」

「そうね、それじゃあ」

 そう言うと、正邪はリュックサックを下ろした。そして、中から細長いものをいくらか取り出して、リグルの前に置いた。

「これって蝋燭?もしかして、頭に付けて、木に藁人形でも打ち付けるの?」

「身にはつけないけど、儀式に必要なの。あ、あとこれもお願いね」

 正邪は一巻の縄も取り出して、リグルの前に置いた。

「ふうん。全部は持てないけど、これくらいでいい?」

 リグルは縄を腕に通して肩にかけ、蝋燭をいくつか両手で抱えた。

「ありがとうね。落とさないように気をつけて」

 正邪は残った蝋燭をリュックサックに戻して、再び背負った。

「それじゃ、行きますか。正邪、案内して」

「ついてきて」

 正邪は飛び上がった。リグルもそれに続く。眼下には木々の影がうっすら見えていた。

「そういえば、行き先を聞いていなかったわ。どこに行くの」

「無名の丘よ。そこに封印があるわ」

「無名の丘って鈴蘭がいっぱい生えているあれのこと?確かにこの近くにあるけど」

「そうよ」

「地底とかに封印があるのかと思っていたわ」

「地底には蟲妖がいるからね。あえて辺鄙な場所に封印をしたらしいのよ」

「へえ。でも、あそこに何かを隠せそうな場所なんてあったかしら」

「隠し場所は術で分かりにくくなっていたの。だから、探すのに苦労したわ」

「そういえば、あそこに確か付喪神が住んでいたはずだわ。見つかると面倒よ」

「大丈夫。この日は毎月、用事があるらしくて留守にしているのよ」

「正邪ってすごいのね。何もかも調べ尽くしている」

「いえいえ、それほどでも。あ、着いたわ。ここらで降りましょう」

 二人は無名の丘の近くに着地した。月が出ていない闇夜のはずなのに、リグルには丘に生えた鈴蘭が薄く光っているように感じられた。

「封印があるのはこっちよ」

 正邪が指をさした方向は無名の丘の近くでも一際寂しいところだった。リグルは正邪に従ってついていく。少し歩くと、正邪が立ち止まった。

「この穴よ。この下に地下室があって、そこに封印があるのよ」

 リグルが見ると、確かに竪穴があった。穴はそれほど大きくなかったが、荷物を抱えていても入るのに支障はないようだった。穴からはほんのりと明かりが漏れている。

「何だか不気味ね。何か光っているし」

「中には封印があるだけよ。その封印しているものが光を発しているの。ただ、ちょっと深いので、気をつけて降りましょう」

「分かったわ」

 まずは正邪が穴の中に入り、それにリグルが続いた。穴の内壁は土ではなく、何か硬いものに覆われていた。穴の中は少し明るかったが、二人の出す音以外には何の音もしなかった。二人は穴の中を垂直に降下していく。

「確かに深いね。もしかして、さっきの穴は何かの口で、下は怪物の胃袋に繋がっている、なんてことはないわよね」

「まさか。もしかして、リグル、怖いの」

「こ、怖くないわよ。妖怪が怖がってどうすんのよ」

「そうよね。ごめんごめん。リグルが怖がりなわけないよね」

「そりゃそうよ。当たり前でしょ。そうじゃなきゃ、吸血鬼になんかけんかを売らないわ」

「吸血鬼?」

「前に吸血鬼と弾幕勝負をしたことがあるのよ」

「すごいわね。それで、結果はどうだったの」

「まあ、余裕で負けたけど」

「それは……まあ、うん。残念だったわね」

「あの吸血鬼ずるいのよ。従者をつれていたのよ。実質二対一だったわ。しかも、その吸血鬼、見た目が幼かったからつい油断しちゃったし、もうあれは恙虫を使ってもよかったくらい……」

「あ、リグル、地下室に着いたわ」

 二人は着いた場所は、なかなかの広さのある部屋だった。部屋は穴の内壁を覆っていたのと同様の素材で覆われていて、二人の入ってきた穴以外に出入り口はない。部屋の形は長方形で、リグルたちが入ってきた穴は壁面にあった。

 そして、その穴のその反対側の壁には石碑があった。石碑のある辺りは一段高くなっていた。石碑には光る文様が刻まれていて、リグルには何が書いてあるのか理解できなかった。リグルは石碑の前に立ち、足元に荷物を置いた。石碑はリグルの背よりも遥かに大きかった。リグルは石碑を見上げながら言った。

「あの石碑に女王が封印されているのね」

「そうよ」

「それで、私、何をしたらいいの。何か、すごく難しそうだけど、本当に私、役に立つの」

 正邪はリグルの後ろの方で何やら音を立てていた。リュックサックから何かを取り出しているようだった。

「大丈夫よ。とりあえず、今は準備が終わるまで石碑を見ておいて」

「見ておいてって……、これ何が書いてあるの」

「今では読める者の少ない古い文字よ。既に解読はしてあるわ」

「ふうん。それじゃあ私が見ても意味がない気がするわ」

「あ、今、準備が済んだわ」

「早いわね。それで何をしたらいいの」

 リグルがそう言った直後、リグルは突然に自身の背後に何者かの気配を感じた。リグルには、それが前触れもなくそこに姿を現したように感じた。そして、その何者かはリグルの耳元で言葉を発した。

「簡単なことよ。ちょっとばかし眠っていればいいのよ」

「え」

 リグルが振り向くと目の前には正邪がいた。正邪の見開かれて爛々とした目と、振り上げられた手がリグルの目に写った。掲げた手にもっていたのは装飾の施された小槌だった。

「正邪、あなた、一体何を」

 正邪はリグルの頭に小槌を振り下ろした。


 リグル・ナイトバグが目を覚ますと、固い床に寝かされていた。どういうわけか、体のあちこちが痛むし、心なしか寒気を感じる。目の前には灰色の薄暗い天井が見える。見知らぬ天井というわけではなく、どこか見覚えがあるようにリグルは感じた。どこからか、金属や陶器をぶつけるような音が聞こえた。リグルは意識が朦朧としていたが、自分がどうしてここにいるのか、どうにか思い出そうとした。

 今日はどこかに行く約束をしていたんだわ。それで、何も持っていかないのもって思って、蟲たちと一緒に木の実を集めたのよ。それで、うっかり待ち合わせに遅れて……。えっと、誰と待ち合わせをしていたんだっけ。あ、天邪鬼の正邪とだわ。……正邪……。

 リグルは正邪の見開かれた目の輝きを思い出し、その途端に意識が鮮明になった。リグルはとりあえず、自分がどういう状況にあるのかを理解することに努めることにした。リグルはまず、自分自身の状態を確認することにした。

 最初に理解したのは寒さの原因だった。リグルは自分が生まれたときの姿になっていることに気がついて赤面した。シャツやズボンだけでなく、下着もつけていない。靴すら履いていなかった。

 そして、自分の手首 が拘束されているらしいことも分かった。手首を目の前に持ってくると、手首に縄が括り付けてあった。力を込めてみたが、縄はびくともしなかった。普通の縄ならば、妖怪の力をもってして引きちぎることができたかもしれなかったが、リグルの手首についているものは特別な縄であるらしい。足首にも似たような感覚があり、おそらく足首も拘束されているのだろう。胸の辺りにも縄が括り付けてあるようで、背中の羽を封じるための拘束のようだ。リグルはこのままではまともに動くことはできないだろうと思った。逃げようと思っても簡単には逃げられそうにないと分かって、リグルは焦燥感を覚えた。

 そして、リグルは辺りを警戒しつつ、そっと辺りを見回した。見える範囲の壁や天井は褐色で、辺りは薄暗かった。自分のいる場所は正邪と一緒に入った地下室のようだとリグルは思った。

 自分の頭のすぐ近くのところに白くて細長いものがいくつか並べてあることに気がついた。それは全て蝋燭だった。リグルは蝋燭が自分を囲むようにして円形に並べてあると推測した。火はついておらず、リグルはその蝋燭に見覚えがあった。

 リグルは自分の頭の方向からする金属音の正体を確かめることにした。リグルは上体を無理にひねって、音を立てないようにして後ろの方を見た。そこには石碑とよく見知った人物の後姿があった。その人物は石碑の前にリグルが見たことのない器具を並べて、物音を立てながら、何らかの作業をしているらしかった。

 不意にその人物が体をひねって後ろの方を見ようとしたため、リグルは慌てて自分の体を元の位置に戻して目を閉じた。しかし、作業の音はやみ、代わりに、自分の方に向かってくる足音が聞こえた。足音は蝋燭の置いてあった辺りで止まった。そして、足音の主がリグルに声をかけてきた。

「あら、リグル、目が覚めたのね。そのまま眠っておけば嫌な思いをせずに済んだのに」

 リグルは眠っているふりをした。足音の主は

「リグルちゃーん。起きているのは分かっているんだよー」

と言ったが、それでもリグルは反応しなかった。すると、その人物はリグルの触角を掴み、リグルの頭を持ち上げた。リグルは突然の強烈な痛みに悲鳴を上げた。リグルの閉じた目から涙が一筋流れた。その人物が

「蟲が狸寝入りなんかしてんじゃねえよ」

とリグルの耳元でささやくと、リグルの触角を放した。リグルは床に後頭部をぶつけて鈍い音をたてた。

 リグルが観念して目を開けると、その人物はリグルの頭の方からリグルの顔を覗き込んでいた。その人物は嫌らしい笑みを浮かべている。リグルは逆さまの友人の顔を見ながら、

「せ、正邪、これって何かの冗談だよね?」

と言うと、その人物は

「冗談でお友達を殴って気絶させて全裸にして縛り上げて放置する奴がいるんだとしたら、私はそいつに会ってみたいね」

と言って少し笑った。

「正邪、これって一体どういうつもりなの」

「どういうつもりも何も、初めからこういうつもりだった」

「ねえ、どういうこと。私を裏切ったの?」

「裏切る?裏切るって何を?私はお前に最初に会ったときからお前を捕縛するつもりだっただけだよ」

「嘘よ」

「嘘じゃないぞ。天邪鬼だって本当のことを言う」

「私、あなたのこと信じていたのに。友達だと思っていたわ」

「友情っていうのはあっさり崩壊するものだよ。まあ、そもそも友情なんて最初から無かったんだけどな」

 リグルは

「私を騙したの?私と友達になりたいって話は?」

と叫ぶように言った。正邪は笑みを浮かべて

「お前と仲良くなったのは、ひとえにここに連れてくるためだよ」

と言った。

「弱者のための活動をしているっていう話は?」

「私が楽しいからやっていただけさ。他の奴なんてどうでもよかった」

「女王とか蟲妖の話は本当よね?」

「さあ、どうだったかな。なんせ天邪鬼の話だからな」

 正邪はニヤつきながらそう答えた。

「私といて楽しいそうにしていたのも全部演技だったの?」

 リグルがそう叫ぶと、正邪の顔に浮かんでいた笑みが消えた。そして、正邪の顔が歪んだ。

「いや、それは嘘じゃないよ」

 正邪はそう言うと、自分の顔を両手で覆った。目が隠れ、薄い唇の動きだけがリグルには見えた。

「本当は、リグルといるのは楽しかったのよ。リグルをこんな風にしたくはなかったのよ。命令でさ、仕方がなかったのよ」

 リグルは正邪の唇の動きを黙って見ていた。正邪の声には涙が混じっているようにリグルには聞こえた。

「楽しかったよ、リグル。あなたとの日々は。だからここで終わりだなんて残念でならないよ」

 リグルは

「正邪……あなたは……」

とつぶやいた。すると、正邪の唇の端が徐々に持ち上っていった。正邪の歯がちらりと唇から見えた。

 そして、正邪は顔を覆う指の間隔を広げていった。正邪はしゃがむと、徐々に自分の顔をリグルの顔に近づけていった。リグルには指の間から正邪の目が見えた。その目は見開かれていて、リグルの困惑する表情が映っていた。

 正邪は顔から手をどかした。そして、満面の笑みでリグルに言った。

「騙されているのに気づかずに友達面している馬鹿を見るのは本当に楽しかったよ」

 正邪はそう言って真っ赤な舌を出した。

「正邪……お前は……」

 リグルはそう言うと正邪を睨みつけた。正邪は

「その表情が見たかったんだ。回りくどい手を使った苦労が報われるってもんだね」

と言ってせせら笑って立ち上がった。

「何で私を縛ったのよ」

「縛った理由でお前が逃げないようにするためという意味以外にあるなら逆に聞きたいくらいだね」

「真面目に答えてよ、馬鹿」

「馬鹿はお前だろ。この虫けらが」

 正邪は右足で蝋燭の列をまたぎ、リグルの顔を踏みつけた。

「ああ、そうよね。裸にして縛った理由が知りたいのよね。安心してよ、リグルちゃん」

 正邪はつま先をリグルの頬にぐりぐりと押し付けた。

「私に節足動物とベッドの上で優しさを持ち寄る趣味はないわ。お前にはまだなんにもしていないよ。まだなんにもね」

「何で私をここに連れてきたのよ」

「いい質問だ、リグル君。それなら喋ってやってもいいぞ。革命の協力者を待たなきゃならないからね。時間が余っているんだ。お前には残っていない時間って奴がたっぷりとね。お前にもちょっとぐらい施しをあげてやらないとね」

 そう言って正邪はにたりと笑った。正邪はリグルの顔を踏むのをやめると、しゃがみ込んだ。

「それじゃあどこから話してやろうかな。やっぱりあいつたちと会ったときの話からでも……」

 しかし、リグルは

「やっぱりあんたの長話は後でいいわ」

と言って正邪の言葉を遮った。リグルの言葉を聞き、正邪は話を中断した。しかし、その顔はまだにやついている。

「後?聞き間違えたかな。後って言ったのか」

「そうよ」

「お前に後とやらがあるのか」

「それがあるのよ。あんたを後に残してここから立ち去るための方法がね」

 そう言うと、リグルは手首を括る縄を引っ張り始めた。正邪は自分の頭を指差して、指で円を描きながら、

「とうとう頭の中まで幻想的になっちゃったのか。その縄は妖怪退治の専門家も使う特別性だ。ちょっとした妖怪ならどんなに引っ張ってもちぎれないぞ」

と言ってリグルを嘲った。その直後、リグルは手首の縄を引きちぎった。そして、他の縄も同じように引きちぎって立ち上がってみせた。リグルの周りにある蝋燭がいくつか倒れた。正邪は唖然とした表情でリグルの顔を見上げた。

「おい、どういうことだ。それ高かったんだぞ」

「確かに丈夫だったわ。私だけの力では駄目だったかもしれないわね。でも、私には味方がいる。たくさんの味方がね」

「な、縄に蟲がいる。こいつは……」

 正邪はリグルの足元の切れた縄に何匹もの蟲がいることに気がついた。その蟲は人差し指ほどの大きさで、細長く、光沢を放つ甲と長い触角が特徴的だった。

「カミキリムシだと。そんな馬鹿な。いつの間に」

「私が蟲を呼んだ……。目を覚ました時点でな……。そして縄を切れた……」

「糞、雑魚と思って油断しすぎたか」

 リグルは正邪に人差し指を向けた。すると、リグルの背後から小さな影がいくつも飛び出した。その影はぶうんという音を立てながら、ゆっくりと正邪の方へ向かってくる。

「何よこれ」

 それは透明な薄茶色の羽のある蟲だった。薄暗い中でも、黄色と黒色の縞模様の警告色はすぐに認識できたのだろう。正邪は

「蜂か、糞が。こっそり呼び寄せてやがったな」

と言った。リグルは

「ただの蜂じゃないわ。大雀蜂よ。それも妖怪になりかけた凶暴な奴らでね」

と冷めた口調で教えてあげた。すると、たくさんの蜂たちはその言葉を待っていたかのように、一斉に正邪に襲いかかった。

「このちっぽけな蟲けらどもがあああああああああ」

 正邪の叫びが地下室をこだました。

 正邪が一人、地下室の天井の穴を座りながら眺めていたとき、一人の少女の形をした者が穴から降りてきた。それを見て、正邪は素早く立ち上がった。その少女は

「すまないね。地底からこっそり出るのに手間取ってな。見つかると色々と面倒だからね」

と言って、正邪の方へ歩いてきた。正邪は少女に

「いえいえ、私もちょっと手間取りましてね」

と言った。少女は

「そういえばリグルがいない」

と言った。そして、正邪の顔を指差して

「それにその虫刺され。まさか、逃がしたの?」

と言った。正邪の額の右側が腫れて赤くなっていた。

「大切な体を傷つけないように拘束具を加減したのがいけませんでした。それにしても、蜂の毒って妖怪にも効くんですね。いや、あれは妖怪蜂の範疇だったのかな」

「おい、リグルがいないとどうにもならないはずよ。どうして捕まえにいかないの?」

「いえ、ちょっと策がありまして。皆さんのご到着を待っていたのですよ」

 正邪と少女が会話をしている間にも、天井の穴からは新たな人影が降りてきていた。正邪の顔を見つめながら、少女は

「どういうことよ」

と言った。すると、正邪は

「ちょっとばかり、封印を解いてほしいんですよ。私ができることは既にやっておりますので」

と返した。少女は厳しい顔つきをして、

「封印を解くって、だから、リグルがいないと……」

と言いかけたが、不意に表情を少し緩めて、

「ああ、なるほど。そういうことか。それじゃあ、急いでとりかかることにしよう」

と言うとにやりと笑った。


 無名の丘から少し離れたところに林がある。その林の一つの木の根本にリグルは腰掛けていた。リグルは正邪との出会いを思い出していた。リグルはつぶやく。

「今思えば、あいつは最初から不自然だったわ。でも、何度か会っているうちに、何となく怪しむのをやめてしまったのよ。そもそも、天邪鬼を信用したのが間違いだったわ」

 リグルは空を見上げた。新月の夜空は月がない代わりに星がよく見える。地上の恒星である蛍たちも闇によく映える。リグルの周りにはいつの間にか蛍が集まっていた。

「あいつの真意を聞き出してやりたかったけど、仲間がいるみたいなことを言っていたわ。あんな狭い場所じゃ、いくら私でも不利よ」

 少し風が吹くと、リグルは肌寒さを感じて少し身を震わせた。

「そういえば、服、置いてきちゃったわ。まあ、後で何とかしよう。もう取りに戻れないしね。……あ、私、何も着ないでここまで飛んできたんだわ。あのときは必死で何も考えていなかったけど、あの姿を誰かに見られていたとしたら……。き、きっと、大丈夫よ、今日は新月だもの」

 リグルが顔を真っ赤にしていると、リグルの手の上に蛍がとまった。その蛍を見ていると、何となく気分が落ち着いた。

「もう正邪と仲間は合流しているのかしら。でもここまで離れれば、流石に見つからないわよね」

 リグルは手の上の蛍に話しかけた。

「やっぱり信用できるのは君たちだけよ。蟲以外の友達なんて要らないんだわ。君たちは絶対に裏切らないものね。こんなに素敵な親友が最初からたくさんいたのに、別の友達を作ろうとした私が馬鹿だったのよね」

 蛍たちは何も返事をしなかった。ただ瞬くだけだった。蟲たちの寡黙さをリグルは嫌っていなかった。

 ふと、微かな音がリグルの耳と触角に届いた。リグルは危機感を覚え、とっさに素早く飛び上がった。手の上の蛍は驚いたのかどこかへ飛んでいった。リグルは木の半ばくらいの高さまで飛び上がっていた。しかし、何故かそれより高いところまでは飛べなかった。リグルは片足に違和感を感じ、浮遊しながら足首にそっと触れてみた。そこには白くて太い紐のようなものが括りついていた。紐から指を放そうとすると、指からは糸が引いた。紐の端は背後の木の幹にまで続いているようだった。

「この紐みたいなの、べたべたするわ。これは」

 再び、前に聞いたのと同じ小さな音がした。リグルが気づいたときにはもう手遅れだった。リグルは強い力で胸と腹を殴打されてふっ飛び、木の幹に背中をぶつけた。そして、木にくっついたまま動けなくなった。リグルは足についていたものと同じものが自分の腹や胸にもくっついていて、それが自分の動きを止めていると理解した。リグルは

「蜘蛛の糸?」

とつぶやいた。すると、誰かが

「そうだよ」

と言った。

「だ、誰?」

 リグルの声に応えるように、小さな人影が近くの木の陰から現れた。影はリグルに近づいていく。蛍の光に照らし出されたそれは、全体的に褐色の服装をした少女だった。髪は金色で、リボンか何かで髪を結わえている。その少女はリグルに

「お前はリグル・ナイトバグだね」

と言った。リグルは体をゆすりながら、その少女に言葉を投げかけた。

「もしかして、蜘蛛の妖怪?」

 少女は薄ら笑いを浮かべながらリグルの言葉に応じた。

「まあ、そんなところかな。私は黒谷ヤマメっていう。短い付き合いになるけどよろしくね」

 リグルの抵抗も虚しく、リグルにはりついた特大の蜘蛛の糸はまるで剥がれそうになかった。

「あんた、土蜘蛛みたいだけど、正邪とグルなの?まさか、こんな早くに私を見つけるなんて」

「そうだね。確かに私は正邪と目的をともにしているよ」

「蟲のよしみで私を見逃してくれない?」

「できないな。私が蟲の一員であるからこそ、お前を見逃すことはできないわ」

「どういうことよ?」

「それは今から教えてあげるよ」

 ヤマメは地面を蹴ると、木に張り付いているリグルの方へまっすぐに飛んで来た。

「来ないで!」

 リグルは蟲を呼び寄せようと、近くの蟲との交信を試みた。

 恙虫、雀蜂、早く来て。私を助けて……。

 しかし、いつもと違って、まるで反応がなかった。リグルは冷や汗をかいた。

 なんでよ。さっきは来てくれたのに。もう蜜蜂でも足長蜂でもくわがたでも鈴虫でもこめつき虫でもなんでもいいから早く……。

 そうこうしているうちに、ヤマメはリグルの目の前にまで接近していた。

「なんで蟲が呼べないのよ。さっきはうまくいったのに。あんた、私の体に何かしたの?」

「いや、蜘蛛の糸を浴びせた以外にはまだ何もしていない。少なくとも、お前にはまだな」

 ヤマメはリグルの体についた蜘蛛の糸を掴むと、器用に操って木からはがし、そのまま暴れるリグルを向かい合う形で抱きかかえた。リグルは蜘蛛の糸で手も足もふさがれてしまっていた。

 ヤマメはリグルの耳元にささやいた。

「間違ってもかみつかないでよ。私には病気を操る程度の能力があるの。私の体液をちょっとでも飲み込めば、ろくなことにならないわよ。私にとってもお前にとってもね」

 ヤマメは方向転換し、リグルを抱えたままリグルが来た方向へ飛び去った。その後をたくさんの蛍が追いかけていた。蛍はさながら飛行機雲のようであった。

「リグル、これからお前に何が起こるかを話してやるわ。お前の能力が効かなくなった理由もそれに関係しているのよ」

 ヤマメの行き先は無名の丘の方向だった。

「なんで私をあそこへ連れていこうとするのよ。私を解放してよ。なんで土蜘蛛のあんたが同じ蟲の私にこんなことをするのよ」

「教えてあげるよ。正邪はお前に女王様の話をしたらしいわね。天邪鬼が言ったことだけど、それは本当の話よ。お前が女王様の封印を解くのに必要なのも本当。でも、お前にはまだ伏せてあることがあるの」

 いつの間にか、ヤマメの後を追っていたはずの蛍たちはいなくなっていた。ヤマメは速度を徐々に上げていった。

「あの封印は封印されたものの力を徐々に奪っていくの。そのせいで、女王様は肉体を失ってしまい、今は精神というか魂というか、そういう形になっているの。妖怪は精神に比重を置いた存在だから、体がなくてもどうにかならなくもないんだけど、女王様は蟲を体現したお方。だから、蟲としての体がないと完全に復活することはできないの」

「あの、細かいことはよく分かんないけど、まさか、私を女王様の新しい体として献上しよう、とかそういうんじゃないよね?」

「理解が早くて助かるわ」

 リグルは青ざめた。

「嘘」

「私はあいつと違って嘘は吐かないわ」

「あんたの仲間の蟲を使えばいいじゃない。それなら喜んで女王の肉体にでもなんでもなるでしょ」

「私の仲間から犠牲を出したくない。お前は結局は他人だからね。それにお前は弱いといっても、一応蟲を束ねてきた実績があるからね、色々と都合がいいのよ」

「都合がいいって……」

「あともう一つ、お前が必要な理由があるわ。実はあの封印、強すぎて完全には解除できなかったの」

「え」

「封印を極限まで弱めても、時間が経つと元に戻ってしまうのよ。封印が元に戻ると、女王様をいくら解放しても再び封じ込められてしまうわ。だから、女王様の代わりにお前の精神を封印するの」

「どういうことよ」

「つまりは、お前は贄でもありデコイでもあるっていうことよ。まあ、あんまり気に病まないで。万が一、封印が解けることもあるかもしれないわ」

「それって何年後のことなのよ」

「大丈夫よ、妖怪は寿命がすごく長いから。お前はまだ若いみたいだしね」

「そういうことじゃないわ」

「そうそう、私がお前を見つけられた理由も教えてあげるわ。それはね、今、女王様のある程度封印を解いているからよ」

「私がいないと封印が解けないんじゃなかったの?」

「確かに、お前がいないから完全に封印を解いたわけではないわ。でも、完全に解けないだけであって、中途半端に解くことはできるのよ。それで、女王様の力で蛍を操ってお前を追尾させたの。私は蛍の光を追ってお前の隠れていた場所を見つけたの」

「そういえば、私の周りに蛍がいっぱいいたわ。普段通りだったから気づかなかったけど」

「お前は蛍だから蛍を使うのは相性がよかったわ。もう蛍への命令は解除しているみたいだけど、まだ力は使っている。お前の能力が効かないのは、お前と同じ効果で、それ以上に強力な権限をもつ能力を女王様が使っているからよ」

「つまり、女王は私の上位互換……」

「お前は蟲を統べる立場にありながら、自分自身の強さは配下頼りよね。それがお前の弱さよ。そして、女王様とお前との決定的な差なのよ」

「なんで私がこんなことに」

「リグル、お前をかわいそうに思わないでもないわ。お前も素質がないわけではないと思う。成長すれば立派な蟲妖になるかもしれないわね」

「だったら、私を今すぐ解放してよ」

「でもね、リグル、今起きていることは、お前が強ければ回避できたことでもあるわ。それに、私たちももうやめることはできないの」

「そんなのあんたたちの勝手じゃない。なんで私を巻き込むのよ」

「妖怪は勝手なものよ」

「そんなの横暴だわ」

「妖怪は横暴さとそれから生まれる恐怖の権化なのよ。お前は与えられた能力と立場の割に考えも力も弱すぎたのよ」

 リグルはそれからもできる限り体をゆすり、声も張り上げた。しかし、ヤマメはリグルの抵抗に動じることなく滑るように一方向へ飛んでいった。そして、薄明るく光る鈴蘭の群生がヤマメの視界の片隅に今にも入り込んだ。無名の丘まではもうすぐのところである。


 私たちは封印のために女王様についての記憶のほとんどを失っていた。覚えていたことは、昔に私たちを率いていた少女の形をした強い蟲妖がいて、それが戦いに敗れてどこかに封印されたということだけだった。だから、私たちは女王蟻や女王蜂からとって、その妖怪に女王という名前をつけていた。ただ、記憶が薄れていたために、女王様を重要だとは思わなかったし、そのときの生活もそれなりに楽しかったから、女王様のことを救ってみようとは思っていなかった。封印の解除が手間であることは予測できたからである。おそらく、正邪がいなければそのまま完全に忘れ去っていただろう。

 いつだったかに正邪が地底に現れて、私の仲間の一人から女王様のことを聞き出した。そして、女王様の封印を一人で見つけ出した。ただ、封印を解くことはできなかったため、私たちに助力を求め、私たちを説得しようとした。私たちはそのときすごく暇だったから、正邪の言葉に乗ってみることにした。要するに、最初は暇つぶしのつもりだった。地上にこっそり出てくるのは楽しかった記憶がある。

 しかし、女王様の封印を少しの間、不完全ながら解くことができたとき、私たちの心情は一変した。女王様と過ごした日々を、曖昧で断片的ながらも思い出したのである。それは、今の生活よりも遥かに楽しいものであった。残念ながら、女王様の名前を思い出すことはできなかった。女王様と間接的ながら会話をすることもできたが、封印のためか、女王様自身も自分の名前を表記できなかった。それから、私たちは珍しく本気でこの計画を進めてきたのである。

 今も慣例的に女王様と呼んでいるが、蘇った記憶から考えると、女王様というほど孤高な存在というわけではなかったように思う。むしろ、私たちの友人に近い関係だったと思う。ただ、単なる友人ではなく、私たちの先導をして、楽しいことを私たちに教えてくれる、そんな友人だった。女王様というよりも、指導者とか伝道師とか、そんな言葉の方が当てはまるかもしれない。女王様は私たちにとって、面白いことの伝道師だったのだと思う。

 私たちは友人を、そして楽しかった日々を取り戻さなければならない。もしかしたら、犠牲を出す必要があるかも知れない。それでも、妖怪の長い生涯を幸福に過ごすためだったら、多少の犠牲くらいは払う覚悟である。

 ヤマメが地下室の天井の穴をくぐり、地下室に降り立った。蟲妖たちは石碑で作業をしていたが、ヤマメの帰還に気がついて「おかえり」などと声をかけた。

 正邪は火のついていない蝋燭が円形に並べてあるところの前に敷かれたござのところで作業をしていた。ヤマメが正邪に近寄ると、正邪は顔を上げた。正邪の顔の腫れは引いていた。おそらく、仲間の中にいた蜂の妖怪が治したのだろうとヤマメは思った。正邪は作業をしながらヤマメに話しかけた。

「おかえりなさいませ、黒谷様。リグルを無事に捕まえたようでなによりです」

「とりあえずリグルには眠ってもらっているよ。儀式のときに騒がれると面倒だからね」

「そうですか。起きたままでもそれはそれで面白いかと思ったんですがね」

 ヤマメは蝋燭の円陣に歩み寄り、その中央に頭が石碑の方を向くようにリグルを置いた。

「暴れられると面倒だし、妖怪の叫び声はサカナにはならないからね」

 ヤマメはリグルの手足を蜘蛛の糸で床に縛り付けていた。

「サカナ?一体何の話ですか」

「よし、終わった。……そういえば、君にはまだ伝えていなかったかな」

 ヤマメは正邪と話をしようとした。しかし、石碑の前で作業をしている蟲妖の一人が

「ヤマメ、終わったならこっちを手伝って」

と言ってヤマメを呼んだ。

「正邪、ごめん。続きは後でね」

 ヤマメはそう言って、石碑の方へ歩いていった。正邪はヤマメの背中を目で追いながら、

「もしかして、私が今、準備をしているこれって……」

と呟いた。

 正邪は手のひらから火の玉を出して、蝋燭に一つ一つ火をつけた。その間に蟲妖たちはござの前に並んだ。正邪は蝋燭の点灯を終えると、ヤマメの隣の位置に移動した。ヤマメは正邪が所定の位置に移動したのを見届けると、毅然とした表情で口を開いた。

「それでは、これより女王様の封印の解除の最後の行程を試みる。皆の者、女王様、そしてありとある全ての蟲たちの繁栄を取り戻そうではないか」

 ヤマメの声は地下室中に響いた。蟲妖たちは片手を掲げておうと声を上げてヤマメに応えた。正邪も遅れて同じ行動をとった。そして、皆が姿勢を正した。

 張り詰めた空気の中、最初に行動を始めたのは弦楽器を持った少女だった。腕と同じくらいの長さの弦楽器を抱えると、弓を弦に滑らせ始めた。弓の動きに合わせて、弦楽器からは滑らかな旋律が流れ始めた。それに合わせて他の蟲妖たちが奇妙な響きの声を出し始めた。蟲妖たちは力のこもった声を抑揚や響きを変えながら発し続けた。その声は長く耳に残るものだった。それが言葉だったとしたら、現在使われている言葉とはまるで別物だったのだろう。声は不思議と弦楽器の少女の奏でる音楽に調和していた。

 音楽はしばらく続き、それが緩やかに終局しようという頃、石碑に変化が生じた。石碑の文字の発する光が弱まった。そして、その文字の上を小さなものが歩いていた。それはとても小さな羽虫だった。ただ、普通の羽虫と違って、腹部に長い管が付いていた。

 音楽が終わると、蟲は石碑から飛び立った。正邪はそれを見て、ヤマメに話しかけた。

「黒谷様、あの羽虫が女王様ですか。なんというか、随分かわいらしい方ですね」

 羽虫は辺りを飛び回っていたが、やがて、リグルの額の上にとまった。

「ちょっと違うわ。あれはベクターでしかないわよ」

「ベクター?」

「つまりは、女王様を新しい肉体に運ぶためだけの存在よ。あの蟲の中に女王様が入っているのよ」

「そうなんですか」

 蟲は管をリグルの眉間に突き刺した。かすかな痛みを感じたのか、リグルの顔が少しだけ歪んだ。

「黒谷様、今、女王様がリグルの中に入っているんですね」

「そうね。あの羽虫の仕事もそろそろ終わるわ」

「それにしても、あなたみたいな方が横文字を使うとは」

「長年病気を操っているとそういう知識も増えるものなのよ。外の世界では恋文にバイラスをつけてばらまくのが流行ったらしいわ」

「なんですかそのバイラスというのは」

「病気の基本的な単位の一つよ。他にもバクティリウムなんてのもあるわ」

「私、英語は苦手なんですよ」

 ヤマメの言葉のとおり、羽虫は少し経ってから、管をリグルの皮膚から引き抜いた。羽虫はそのまま動かなくなった。

 そして、羽虫が管を突き刺した辺りから、黄緑色に光る玉のようなものが出てきた。それは蛍の光の色に似ていた。点滅こそしなかったが、玉は光の強さを周期的に変えていた。

 黄緑の玉はふわりと浮かぶと、石碑の方に飛んでいった。そして、石碑にぶつかったかと思えば、そのまま石碑に吸い込まれるようにして消えた。すると、石碑の文字の光が再び強まり、蝋燭の炎が全て消えた。

「今ので、あいつは……えっと誰だっけ、まあいいや。えっと、その石碑に封じられたってことですよね」

「ええ、女王様の代わりにね。君があいつの名前を忘れたのも、まあ、私も忘れてしまったけど、あの封印の作用のためよ」

「意外とあっさり終わりましたね。もうちょっと泣き叫んだりするかと思いました」

「女王様との力の差が大きかったからだろうね。確か、あの妖怪、あまり強くなかったはずだから、抵抗する間もなかったみたいね」

「そうですか。ああ、惜しい方を亡くしましたね。でもまあ、革命に犠牲はつきものですから仕方ありませんね。今となっては良い奴だったかどうかも分かりませんけど」

「正邪、亡くなる方というのはね、良い人ばかりらしいわよ。だから、きっとあの妖怪も優しい奴だったんじゃないかな」

「優しい妖怪なんているんですかね。あ、でも、そういえば、私も蟲娘は心が天使だって聞いたことがあります」

「となると、私も天使なのかしらね。病をばらまく天使かな。……さてと」

 ヤマメは蝋燭の円陣の中に横たわる少女に近づくと、屈みこんで、少女の肉体に手を伸ばした。そして、少女の肉体についている蜘蛛の糸を取り外した。ヤマメは蜘蛛の糸を手の中にしまうと、立ち上がり、蟲妖たちの方に振り向いた。そして、ヤマメは笑顔で

「さて、私たちができることはこれで終わり。後は女王様の復活を待つだけよ」

と言うと、蝋燭の円陣の前のござを指差した。

「でも、ただ待つだけなのもつまらないわ。あそこに座って楽しく待つことにしましょう」

 蟲妖たちは移動してござに座り込み、ござの上に置いてある酒やつまめるものを手に取り始めた。ヤマメはござの近くに立ったままでいる正邪に近寄った。

「正邪、君も一緒に飲んで待ちましょ。遠慮は要らないわ」

「まだ女王様の封印の解除の最中なのに大丈夫なんですか。私、それも儀式に使うものだと思っていたんですけど」

「もう私たちにできることはないのよ。それに、これから長く待つから、立ったまま待つなんて退屈だと思わない?」

「本当に大丈夫なんですかね」

「まあ、女王様の復活前のお祝いということで。本格的なお祝いは女王様が復活した後に場所を改めてからするけどね」

 正邪は怪訝な表情のまま、

「はあ。そうですか」

と返事をした。

 薄暗い地下室の中に、煙がわずかに立つ蝋燭が円を描くようにして置いてあった。その円陣の中央には一糸まとわぬ少女の肉体が横たわっていた。わずかに開かれた目は虚ろで、額の上には尾をもつ小さな羽虫の死骸があった。

 そして、その蝋燭の円陣の前にはござが敷いてあった。蟲妖たちはその上に座り、思い思いに談笑をしていた。その話題の中には蘇りつつある過去の記憶もあった。

 ござの隅の方では、正邪がちびちびと酒を飲んでいた。正邪はヤマメの肩を叩いた。ヤマメは蟲たちの談笑に加わっていたが、ヤマメは会話の相手に詫びを入れると、体を正邪の方に向けた。

「ごめん、君のことを放置していたわね。ついつい話がはかどっちゃってね」

 正邪は心配そうな表情をしていた。

「別にそれはいいんです。それよりも女王様の体にまるで変化がないように見えるんですけど、大丈夫ですか。もう結構時間が経っていますけど」

 ヤマメは微笑みながら答えた。

「問題ないわよ。生き物の変化というものはね、最初は静かに準備が行われる。そして、機が熟したら一気に目に見えて大きな変化が起こるのよ。それは蟲妖も同じなのよ」

「そうなんですか」

「それにね、本当はもう変化は起こっているのよ。正邪は蟲じゃないから分からないのかもしれないけど」

「本当ですか。どんな変化が起こっているんですか」

「女王様はもう肉体の内部の改造を進めているわ。気になるのなら、あの体に耳を当ててみると良いわよ。女王様の分身たちが肉を食べて体を作り直している音が聞こえるはずよ」

 正邪は扁平な管に足のはえたものが肉にたかっている光景を想像した。

「やめておきます。まあでも、安心しました」

「正邪も一緒に飲みなさいよ」

 ヤマメは正邪を会話の輪の中に招き入れた。正邪はヤマメに応じておそるおそる席を移した。それでも、正邪は話に加われそうになかったため、適当に相槌を打ちながら酒を飲むことに集中することにした。そうして蟲妖たちの思い出話が長々と続いた。

 そして、しばらく経つと、ヤマメが立ち上がって、会話に花を咲かせていた蟲妖たちに声をかけた。

「さて、そろそろお開きね。続きは女王様が目を覚ました後よ」

 蟲妖たちは

「あ、そうだね。もうこんな時間か」

「女王様とのお話が楽しみだね」

「そろそろだね」

などと言って、ござや食器の片付けを始めた。正邪もそれに参加しながら、ヤマメに話しかけた。

「どうしたんです。何かが始まるんですか」

と言った。

「そろそろ女王様の復活の最終段階よ。女王様の復活も近いわ。ござを片付けて出迎える準備を始めるわよ」

「黒谷様、復活の最終段階ってどんな風なんですか」

「女王様は最後に外見を整えるわ。女王様にふさわしい、美しい肉体に変えるのよ。実をいうと、それもちょっと時間がかかるのよね」

「それじゃあ、もうちょっと待ってもよかったのではないですか」

「最後の行程は派手だからね、じっくりと見た方がいいのよ」

 ヤマメはそう言って微笑んだ。

「それに、食事をしながらはやめた方がいいしね」

「食事がまずくなるようなことでも起こるんですか」

「まあ、色々とね」

 蟲妖たちは片付けと準備を終えると、再び蝋燭の円陣の前に並んだ。

 ほどなくして、蝋燭の円陣に横たわる少女の体に変化が生じたのに正邪は気がついた。少女の口が動き始めたのである。少女の唇はもごもごと小さく蠢いていた。

「黒谷様、口が動いていますけど、何が始まるんです?」

「面白いことが始まるのよ」

「答えになっていませんよ」

「説明しにくいから、その場で何が起きているか教えてあげるわ」

 少女の口がわずかに開いた。すると口の中から細長いものがいくつも這い出てきた。あまたのそれは少女の体の上を這って移動していた。それは芋虫だった。芋虫は細長い体の下にある柔らかい足を動かして、芋虫にしては素早く移動していた。芋虫の中には触角の上に乗ったものもいた。触角は芋虫の重さに負けて曲がった。

「黒谷様、あれは一体?」

「あれは女王様の分身よ」

「分身?」

「女王様は体を様々な蟲の形に変えることもできるのよ。あれはたぶん、蚕か何かの類を参考にしたものね」

「女王様の能力は蟲を操るだけではないんですね」

「一匹の蟲の世代は短いけど、その分、様々な環境に蟲は適応できるの。女王様はその蟲の強さを自分の身一つで体現できる。それだからこそ、あらゆる蟲は女王様に従うのよ」

 少女の口から出てきた芋虫たちは少女の体のあちこちに移動した。芋虫たちは少女の体のほとんどを覆ってしまった。

 芋虫たちは移動をやめると、口から白い液体を吐き出し始めた。芋虫の体の大きさに見合わぬほどに吐き出された多くの液体は少女の体を芋虫と羽虫の死骸ごと包み込んだ。やがて、液体は固まっていき、艶やかな光沢を帯びてきた。

「これは繭ですか」

「まあ、そんなところね」

「この中で蛹にでもなるんでしょうか」

「蛹ではないけど、似たようなことにはなるわ」

「似たようなことですか」

「蛹になる蟲は、蛹の中で体の形を大きく変容させるの。羽のない芋虫が蛹から孵ると羽の生えた蝶になるのは、蛹の中で体を大きく作り変えるからよ。女王様は繭の中で体の形を完全なものに変えるのよ」

 巨大なドーム状の繭は子供を収める棺と同程度の大きさだった。芋虫の吐き出した液体が完全に固まると、繭からは水が跳ねるような音がし始めた。

「どうやら外見の改造が始まったようね」

 正邪は繭の中から錆びた鉄のような臭いが漂っていることに気がついた。

「この臭いは、血ですか」

「女王様は繭の中で色々と剥き出しになっているから、そういう臭いがしても仕方ないわ」

「剥き出しですか」

「物事を新しくするには、古いものを一度捨て去らなくちゃいけないからね。女王様は昔も、今の格好に飽きると、こうやって外見を変えようとすることがあったわ」

「イメチェンって奴ですか」

「そのいめちぇんっていうのが何かは分からないけど、まあ多分そうなんじゃない」

 繭の中の音はしばらく続いた。その音がやむ頃には、錆びた鉄の臭いも薄れていった。

「そろそろ女王様の復活が完了するわ」

「やっと、女王様とご対面できる、というわけですか」

 やがて、繭から衣擦れのような音がし始めた。その音がする度に繭がわずかに揺れた。ヤマメは

「間もなくよ」

とつぶやいた。

 やがて、繭の内側から繭を引き裂いて何かが現れた。それは少女の形をしたものだった。ベッドの上で仰向けに眠っていた少女が、目を覚まして上半身を起こしたかのように、繭を引き裂いて現れたのである。蟲妖たちはざわめき始めた。正邪も目を輝かせて少女に注目した。

 少女はそのまま立ち上がって、体に付いていた繭の切れ端を払うと、その裸体を蟲妖たちに示した。少女は全身がしっとりと濡れていた。肌は美しくて輝くようだった。体格はかつてそこに眠っていた妖怪と同程度だった。しかし、それ以外の髪や触角、羽、顔立ちなどは全くの別ものだった。

 自分を見つめる蟲妖たちに向かって少女は微笑んでみせた。ヤマメは蘇りつつある記憶の中に少女の笑顔を認めた。そして、ある名前が脳裏に浮かび上がった。それは他の蟲妖も同じだったようで、蟲妖たちは歓声を上げて、その名前を呼んだ。


 夕焼けが無名の丘の近くの野原を赤く照らしている。その中を二人の少女が談笑しながら歩いている。一人が片方に言った。

「正邪、本当に行っちゃうの?せっかく、蟲の再興が進んできたっていうのに」

 二人は歩みを止めて向かい合った。

「黒谷様、私も皆様とお別れするのは寂しいです。でも、行かなきゃいけないところがあるんです」

「そっか。残念だわ。君は蟲じゃないけど、私たちにとっては大切な仲間だったわよ。もちろん、別れてからもね」

「私も皆様と過ごせて楽しかったです」

「何か困ったことがあれば、私たちを頼るといいわ。蟲はどこにでもいる。きっと君の助けになるわよ」

「ありがとうございます。機会があったらまた会いましょう。それじゃあ、さようなら」

 そう言うと、正邪はヤマメに背を向けて飛び上がった。

「さよなら。また会う日まで」

 ヤマメは正邪の背中を見ながら手を振った。正邪は手を少し振り返して、ヤマメの方に振り返らずに飛び去った。

「全く、せっかく復活させてあげたってのになぁ」

 天邪鬼が夕焼け空の中を飛んでいた。天邪鬼は通りすがりの精霊を撃ち落とした。

「暴れまわるかと思ったら、酒宴の勢いでちょっと異変を起こして、巫女に退治されて終わりってどうなんだ。私の数ヶ月の苦労は何だったんだよ」

 正邪はたまたま出会った妖精を攻撃した。その仲間の妖精たちが正邪を攻撃してきた。

「また退治されると困るから、昔ほどは暴れないって。馬鹿じゃないか。それじゃあ蟲のリーダー失格だろ。妖怪なら暴れるだけ暴れろよ」

 正邪は妖精たちの飛ばした白い弾を軽々避けると、そのうちの一人を撃墜させた。

「せっかく強い力を持っているのに、なんでめちゃくちゃにやろうと思わないんだ」

 正邪は妖精の群れにめいっぱい弾をぶつけた。

「っていうか、なんで妖精が妖怪を襲っているんだよ。人間を襲っていろよ。ああ、私が八つ当たりしたからか」

 道を遮る妖精は数を増してきた。しかし、正邪は進むのをやめようとはしなかった。

「まあそんなことはどうでもいい」

 正邪は懐から小さな物体を取り出した。

「私の仕事のお礼にってくれたけど、これが私の苦労に釣り合うとは思えない。まあ、でも悪くないな。それにしても、蟲たちがこんなものを隠し持っていたとわね」

 正邪は道具を眺めた。蟲たちの宝物は手の中で夕陽を反射して光り輝いていた。

「今までの道具がこれに比べればゴミのようだ」

 正邪が道具を眺めていると、視界の隅から強い光が入り込んだ。正邪は

「眩しいな。一体なんなんだ」

と言って光の方を見た。

「あ」

 視界を様々な色の光の弾が覆っていた。

「忘れていた。ちょっとまずいかも」

 妖精たちは正邪を取り囲んでいた。大量の光の弾で正邪の姿は見えないが、妖精たちは一矢報いることができたと確信した。妖精たちは囁き合い、くすくすと笑った。

 時間が経って光の弾が完全に消えると、そこには正邪が不敵な笑みを浮かべて浮遊していた。正邪にはかすり傷の一つもなかった。呆然としている妖精たちを尻目に正邪はにっと笑うと、手にもった小さな物体を掲げた。次の瞬間、妖精たちは強い衝撃を受けて一度に吹っ飛ばされた。

「これはなかなか面白いぞ」

 妖精たちが消えて、光の粉を残していた。正邪はその粉が反射する光の中で笑みを浮かべた。


 ヤマメは正邪と別れた後も、しばらく無名の丘の近くを歩き回っていた。うろつきながら、ここ最近の出来事を振り返っていた。

「そういえば、全てはここから始まったのよね」

 ヤマメは独りつぶやいた。

「地底の暮らしも悪くはなかったけど、ここ最近は楽しくて仕方ないわ」

 歩いているうちに、ヤマメは地下室に続く穴の近くにまで来ていた。ヤマメは辺りを見回して、

「いつも夜に来ていたから分からなかったけど、この辺ってこんな感じだったのね」

と言った。ふと、ヤマメは小さな声を聞いた気がした。再び辺りを見回したが、誰かがいるようには見えなかった。

「あのぉ、すみません」

 しかし、今度こそ、ヤマメは声をはっきりと聞いた。確かに誰かが自分に声をかけていた。

「誰?どこにいるの?」

「ここです。ここ」

 小さな声が答えた。

「ここって……。ああ、あんたね」

 ヤマメのすぐ近くを蟲が飛んでいた。それは紫色の下地に複雑な模様を入れた羽をもつ蝶だった。

「そうです」

 ヤマメは蝶が口を利いたことに少し驚いたが、幻想郷ではそんなことが起きても不思議ではないと考え直した。特に、最近は女王の力のおかげか蟲がより活発になってきている。今までに本来の姿のままで言葉を発する蟲を見たことがないとはいえ、喋り出す個体がいてもおかしくないとヤマメは思った。

「あの、あなた、蟲の妖怪ですよね」

「そうだけど」

「ちょっと、助けてほしいことがあるんですが、お話を聞いてくれませんか」

「ああ、いいよ。私は黒谷ヤマメ。土蜘蛛だよ」

「ああ、すみません。私はリグルといいます。リグル・ナイトバグです」

「リグル……」

 ヤマメは驚いた。ヤマメが驚いた理由は、この蝶がリグルと名乗ったことだけではない。封印の作用でリグルのことは全て忘れていたはずなのに、何故かリグルのことを覚えていたのである。

「私のこと知りませんか」

 ヤマメは少し言いよどんだ。

「どういうことかな」

「あ、すみません。意味が分かりませんよね。私、本当は蛍の妖怪で、人間の子供くらいの大きさだったんです。姿も人間に近いものでした。でも、気がついたらこんな姿だったんです。信じられないかもしれませんが……」

「いや、信じるよ。幻想郷っていうのはわけのわからないことがよく起こるからね」

「ありがとうございます」

「えっと、それで、リグル、君がそういう姿になった理由は覚えていないの」

「それが、全く。どうも、記憶がいくらか無くなってしまっているみたいで。自分がどういう者だったのかとか、そういうのは覚えているんですけど」

 リグルと名乗る蝶は間を置いて

「それと、何故か私が何人もいるんです」

と付け足した。ヤマメは思わず聞き返した。

「え、何人も?」

「こういうことです」

 蝶の横の辺りから声がした。ヤマメが声のした方を見ると、そこにはとんぼが漂っていた。

「ここにもいます」

 次はヤマメの足元から声がした。ヤマメが足元を見ると、そこにはかまきり、百足、こおろぎ、蝸牛、てんとう虫、そして、角の生えたかぶと虫がいた。何故か、かまきりは青い木の実を抱えていた。唖然としているヤマメをよそに、今度はかまきりが口を利いた。

「私たちもリグルなんです。別に偽物ってわけじゃなくて、私たちも、私たちが私であることを何となく理解しているんです。自分も私だけど、相手も私だってことが何となく分かるんです」

 ヤマメは屈み込んで、足元の蟲たちを見ながら

「ああ。うん。皆自分がリグルっていう記憶があるのね」

と言った。かまきりは

「皆、自分が私だとは思っています。ただ、皆が同じ記憶っていうわけではなくて、自分が覚えていることを、他のは覚えていなかったり、その逆があったりしました」

と言った。てんとう虫は

「むしろ私はリグル・レディバグって感じね」

などとつぶやいた。ヤマメがかまきりの言葉に応じて、

「あ、うん。だいたい分かったわ。朝に目を覚ますと小さな蟲になっていたっていう感じなのね。それで、君たちは自分がどうしてこうなったかっていうのが知りたいのね。」

と言うと、蝸牛は

「そうです。目を覚ますとというよりも、気がついたらという感じですけどね。あなたみたいな蟲の妖怪なら、蟲のよしみで手伝ってくれるかもしれないと思いまして」

と言った。ヤマメは

「そうね、蟲のよしみだもの。手伝ってあげるわ」

と笑顔を作って言った。かまきりが

「ありがとうございます」

と言った。ヤマメはかまきりのもつ木の実を指差して

「えと、ところで、なんで君は木の実を持っているのかな」

と言った。すると、木の実から

「象虫の幼虫である私が中にいるからです」

という声がした。

「ああ、なるほど」

 かまきりは再び言葉を発した。

「実は私、おなかに針金虫を飼っているんですが、それもリグルなので色々と大変です」

 かまきりの腹部からも

「そういうことです。よろしくね、ヤマメさん」

という声が聞こえた。ヤマメは口元を少しひきつらせながら、

「よ、よろしく」

と応じて立ち上がり、一つ咳払いをした。それから、蟲たちに向かって

「ちょっと心当たりがあるわ。ついてきてくれないかな」

と言った。

 ヤマメとリグルたちは地下室にいた。地下室はヤマメが以前に来たよりも暗く、視界が悪かった。そのため、ヤマメは左手の人差し指の先に火を灯して明かりにしていた。ヤマメは左肩の上に百足とこおろぎとてんとう虫を乗せ、右肩の上にかまきりとかぶと虫を乗せていた。左肩の蟲たちは火を恐れたのか、狭い肩の上で縮こまって固まっている。かまきりは相変わらず木の実を持っていた。蝸牛はヤマメの服を濡らさないようにかぶとむしの甲の上に乗っていた。蝶ととんぼはヤマメの近くを飛んでいた。

「どういうことだ」

 ヤマメは呟いた。石碑があったはずのところには瓦礫があった。瓦礫には文様があって、石碑のなれの果てであることが推測できた。ただ、文様は光を発していなかった。ヤマメはあの強力な封印が壊れた理由が気になった。ヤマメは蟲たちに

「リグル、この場所に見覚えがないかい」

と聞いてみたが、蟲たちは

「いえ、全然」

「私も」

「同じく」

「初めて来ました」

「ここってどこですか」

「何なんですかこれは」

「この瓦礫がどうかしたんですか」

などと答えるばかりだった。ヤマメは顎の下に手を置き、

「そうか、知らないのね」

と言いながら、頭の中で推理を巡らした。ヤマメは封印されたリグルが想定以上に弱すぎたことが石碑の崩壊の原因ではないかと考えた。元来、石碑は力の強い妖怪の封印のために作られていた。そのために、封印の力がオーバーフローしてしまったのではないか。ヤマメたちが立ち去った後に、石碑が余分な力に耐えられず、自壊してしまったのではないか。そして、その衝撃で、封じられていたリグルの精神は大打撃を受け、精神の何割かを消失するのと同時にばらばらになって離散し、近くにいた蟲たちに取り憑いたのではないか。ヤマメはそのように推測した。しかし、ヤマメは

「いやぁ、この瓦礫、前からあったんだけど、変な模様があるからさ。もしかしたら、君たちの変身の原因かもって思ってね。違うようだね」

とだけ言った。リグルたちは

「残念です」

「確かにいかにもって感じの場所だね」

「強大な妖怪が封じこまれていたと言われたら信じそう」

「もしかして、この瓦礫に触ってどうかしたとかって感じかな」

「なにそれ怖い」

などと口々に言っていた。ヤマメは

「ところで、君たち、これからどうするつもりなの」

とリグルたちに尋ねた。蝶が

「どうするって、特には考えてません」

と答えた。ヤマメは

「ちょっと提案があるんだけどね。実は近頃蟲の国ができる予定なんだ。最近、強い蟲妖が復活してね、その妖怪を中心に蟲の繁栄のための活動をしているんだよ」

と言った。蝶は

「だから最近蟲たちが活発なのね」

と言った。かぶと虫は

「いつの間にか蟲のリーダーの座を下ろされていたんだけど」

とつぶやいた。ヤマメは

「それでね、君たちも一緒に来ないかなと思ってね。もしかしたら、元に戻る方法も分かるかもしれないしね。どうかな」

とリグルたちに言った。リグルたちは

「いいんですか」

「ついさっき知り合ったばかりの方にそこまでしていただけるなんて」

「ありがたい話です」

などと答えた。ヤマメは続けた。

「いやね。私の贖罪のためにも是非来てほしいな」

 すると、リグルたちはざわめきだした。

「ショクザイ?食べ物?」

「私たちを食べる気なの?」

「丸のみにするの?踊り食いなの?」

「貴重な栄養源なのね」

「体外消化するつもりなのね」

「エスカルゴは嫌だ」

「いや、佃煮だね、きっと」

「すみません、孫太郎さん。あのときの約束は果たせそうにありません。むしろあなたと同じ最期を迎えそうです」

「私は寄生虫もちなんで食べてもおいしくないです。せめて私だけでも見逃して。他のは美味しいけど私はやめた方がいいわ」

 ヤマメはリグルたちの様子を見て、くすりと笑うと、

「違う違う。そういう意味じゃない。贖罪っていうのは、罪を償うっていう意味よ。君たちを食べたりなんてしないわ」

と言った。蝶は

「黒谷さんが私たちを食べるわけないって分かってましたよ」

とすました調子で言った。他のリグルたちも

「ああ、よかった」

「かまきりの私、見損なったよ」

「だいたい、まずさでいえばてんとう虫である私の方が上よ。私の毒液をくらってみるかい、かまきりさん」

「冗談だよ。冗談に決まっているじゃないの。ちょっと、やめて。角で目を狙うのやめてよ。こっちは針金虫の私の命も預かっているんだよ」

「わ、私の実を盾にしないで」

などと言っていた。百足は

「罪?黒谷さん、何か悪いことしたの」

とヤマメに質問した。ヤマメは困ったような表情をしながら

「まあ、ちょっと前に蟲を見殺しにしてしまったことがあってね。それで、窮地にいる蟲はできる限り助けてあげたいと思っているのよ」

と答えた。リグルたちは

「ああ、そうなんですか」

「変なことを聞いてすみません」

「きっと黒谷さんは悪くありませんよ」

「素敵な心がけですね」

などと応じた。ヤマメは再び笑みを作ると

「これは私のことさ。気にしないでくれ。……そんなことよりも、君たち、一緒に来てくれるよね」

と言った。リグルたちは

「ありがたいです」

「是非お願いします」

「お言葉に甘えて」

「妖怪に食べられそうで不安だったんです。これじゃあ妖精にも勝てません。だからありがたいです」

「よろしくお願いします」

などと答えた。リグルの了解を得られたことを確認すると、ヤマメは

「象虫の君は私がポケットに入れて運んであげるよ」

と言って、右肩に右手を近づけた。かまきりは

「お願いします」

と言った。ヤマメはカマキリから実を受けとり、ポケットに入れようとした。その間際に木の実から

「よろしくお願いします」

という声が聞こえた。実は確かにヤマメのポケットに収まった。ヤマメは

「よし、じゃあ、私の右手の上に集まって」

と言って、右手を掲げた。飛んでいた蟲たちは右手の上に着陸した。肩の上の蟲たちは腕をつたって移動した。

 ヤマメは蟲たちの移動を確認すると右手を少し下ろし、そして一気に振り上げた。蟲たちが中に舞った。蟲たちは悲鳴とも歓声ともつかぬ声を上げた。ヤマメは右手の指先からいくつかの細い蜘蛛の糸を発射した。ヤマメは右手を器用に動かし、目の細かい籠を作った。その中には蟲たちが上手く収まっている。

 ヤマメは即席の虫籠に向かって

「このままだと不便だから、とりあえずここに入っていて。くっつかない糸だから安心して」

と言った。白い籠の中からは

「ありがとうございます」

「これからもよろしくお願いします」

「柔軟な良い糸ですね」

「さすが土蜘蛛。かっこいいです」

「百足も糸を吐けたら便利なのに」

という声が聞こえた。ヤマメは

「それじゃあ出発するよ」

と言うと、籠を両手に抱きかかえて飛び上がった。そして、地下室の天井にあいた穴を通り抜け、そのまま飛び去っていった。


 無名の丘の近くにまで来たため、私は飛行速度を落とし、地上に降りた。地下室への穴へは徒歩で行く。リグルは眠らせておいた。起こしたままでは色々と面倒だし、女王様の侵食で過度に苦しませるのは気分が悪いからである。眠っていれば、リグルはそれほど苦しみを感じないだろう。

 リグルはここまで抵抗したのだから、何も知らせないのもよくないだろうと思って、リグルには真実を伝えておいた。ただ、一つ、黙っておいたことがある。リグルには女王様の代わりにリグルが封印されると伝えておいた。しかし、リグルの精神は女王様の魂と比べると遥かに脆弱であろう。そのため、女王様のために作られた強大な封印には耐え切れないと思われる。だから、リグルの精神を代わりに封印すれば、女王様と違っておそらく短時間のうちにリグルは完全消滅してしまうだろう。しかも、肉体ごと封印するのと違って、生身の精神のみを封印するのだから、リグルにはあの封印に耐える術はない。せいぜい、もって一週間が限界だろう。

 流石にこのことをリグルに伝えるのはあまり気分がよくない。まあ、すぐにリグルのことは忘れてしまうだろうから、真実を伝えようが伝えまいが長期的に見れば同じだろう。だからといって、わざわざ自分にとって嫌なことをするまでもない。だから、リグルにこのことを伝えなかったのは正解だったと思う。

 さて、件の穴に到着した。リグルをうっかり落とさないように、油断せずに慎重に穴を降りることにしよう。

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