蟲姫様と反逆者

この小説のような何かについて

 この小説のような何かは東方Projectの二次創作です。独自設定が大量に混入しています。 描写や設定に不備があることを自覚してはいました。それでも、こういう話を作らずにはいられませんでした。 これをリメイクしたのが「Guru」です。

 初出はpixivの「蟲姫様と反逆者」 ()です。pixiv版では何故かお気に入りが二つも。 おそらくひたすらあれなあれがあれしてあれしたのでしょうね。

蟲姫様と反逆者

 天邪鬼が幻想郷中を逃げ回った事件から数ヶ月が過ぎた。少し騒がしかった幻想郷も今となっては平穏さを取り戻していた。しかし、件の天邪鬼は事件の後に一度たりとも姿を見せておらず、そして、異変の影は確かに幻想郷に忍び寄っていたのである。


 人里から少し離れた林の中に道がある。妖怪が現れることが度々あるこの道は、真昼間でさえ人通りが少なかった。まして、夜中ともなれば、人が通りかかることなどは滅多に無かった。その林の中の一つの木のその枝に、緑色の髪の毛をした少女が座っていた。一見すれば洋装の人間の少女に見えるが、頭から突き出た触角から、人ではない何かであることが窺い知れる。彼女はリグル・ナイトバグと呼ばれていた。彼女が枝に座りながら道の方を向いていたのは、道を人が通るのを待っていたからであるが、実のところ、収穫は期待できないことを知っていたため、暇を持て余してぼんやりとしていただけであった。リグルがこの日で十三回目のあくびをしたとき、リグルの座っていた木の陰から何者かが急に飛び出して、リグルの前に姿を表した。

「ひええ」

 リグルは不意をつかれて妙な叫び声をあげてしまった。だが、配下の蛍の光に照らされた、その何者かの姿をよくよく見れば幼い少女の形をしていた。頭に小さな角が二本生えていて、髪の毛の先がところどころ赤いのが特徴的である。その妖怪は機嫌をとるような調子で話しかけてきた。

「あ、驚かせてしまいましたね。すみません」

「え。あ。いや、別に驚いてないし」

 リグルは先ほどの叫び声を思い出して顔を少し赤くしながら返事をした。

「もしかしてリグル様でしょうか」

「そ、そうだけど」

 すると、その妖怪は姿勢を直し、口調を改めた。

「はじめまして、蟲姫様。先ほどはご無礼をいたしてすみません」

 妖怪は笑顔を作りながら高い声で言った。

「ム、……ムシヒメサマ……、わ、私のこと?」

「はい。私は正邪と申します」

「セイジャ……さん?」

 リグルは自分のことを妙な呼び方をする、やたら丁寧な妖怪を気味悪く思った。しかも、その妖怪の名前に聞き覚えがあった。疑念を抱えながら、その名前を何回か復唱すると脳裏に浮かび上がるものがあった。

「実はですね、蟲姫様にお話があって参上しました」

「あ、お前はお尋ね者だった天邪鬼。まさか、何かしでかそうとしているんじゃないでしょうね」

 正邪は口の端をくいと持ち上げて、「めっそうもございません」と答えた。しかし、リグルには猫を被っているようにしか見えなかった。

「そんなことを言って、私を異変の片棒に担ぐ気なのね。厄介事はごめんだわ」

「とんでもございません。私は蟲の皆様、そしてあなた様の未来のための重要なお話を申し上げに参ったのです。せめて、お話だけでも聞いていただけませんか」

「私を騙そうったってそうはいかないわ」

 正邪は少し黙り、そして真顔になると、声色を低くしてリグルに話しかけた。

「蟲姫様、あなた様は数多の蟲を束ねるお方です。そんな重要な立場でありながら、幻想郷での扱いが悪い。そうお思いではありませんか。払いのけられ、潰されて、蔑まれ、見下されて、何度歯向かっても勝てない。悔しくて悔しくてたまらない、でも、どうにもならない。蟲姫様、あなたにはそんなことがあったはずです」

「一体何が言いたいのよ」

「現状を変えたい。でも、変えようがない。どうにもならない。現状を変えようと、蟲の立場向上のための活動をしても、上手くいかない」

「あんたは私を馬鹿にしているの?」

「いいえ。私もあなた様と同じなのです。私は気ままに妖怪としての生涯を過ごしたかっただけなのに、何度も強者にその意思を折られ、抑圧されました。私には強者に立ち向かう術はなく、強者は自由に幻想郷中を飛び回れる。何故、私達は抑圧されなければならないのか。日々自問自答していました」

「……続けて」

「そして、私は現状を変えための方法の研究をして、ついに私達の現状を変える術を発見したのです。巫女が相手でも、魔法使いでも、剣士でもメイドでも、私達、そしてあなた様の意思を砕こうとする者全てに立ち向かうことができるようになる方法を私は見つけ出したのです」

 正邪は少し微笑んで「お話だけでも聞いていただけませんか」と言った。リグルは「話だけならいいわ」とだけ答えた。正邪は再びにんまりと笑うと、話を切り出してきた。

「蟲姫様は幻想郷における蟲たちの歴史についてご存知でしょうか」

「……私が幻想郷に来たときには既に蟲は弱くなっていたとしか知らないわ」

「あなた様がご存知ないのも仕方がありません。幻想郷には隠された蟲の歴史があるのです」

 正邪は静々とした声で語り始めた。

「かつて、幻想郷には非常に強力な蟲の妖怪がいらっしゃいました。彼女はあまたの蟲妖を引き連れ、幻想郷の空を駆け巡っていました。彼女はとてつもない強さを誇っていましたし、蟲妖を魅了するカリスマももっていました。蟲が過去の幻想郷で強大な力をもっていたのは、ひとえに彼女のおかげといっても過言ではありません」

「その妖怪って一体誰なの」

「それは分かりません」

「わからないって、どういうことよ」

「彼女は歴史から葬り去られてしまったのです。彼女はあまりに強すぎました。それゆえに、他の強い妖怪や人間と争い、しまいには秘密の場所に封印されてしまったのです。配下の蟲妖たちも多くが地底に追われてしまい、更には彼女の後釜を巡った争いで、蟲の勢力は減退してしまったのです。そして、封印された妖怪を解き放つ者が現れないように工作がなされて、その存在がなかったことにされました。今では彼女がどこに封印されているのかを知っている者はおりません。そもそも、彼女の存在を知っている者も少なくなりました。そのしばらく後、蟲姫様が幻想郷においでになられて、今の立場におられるわけです」

「つまりは、その妖怪を復活させることで、蟲の勢力を回復させようっていうわけね」

「そのとおりです。流石、聡明であられますね。私は蟲の勢力の回復を通じて、私のような弱者たちの救済をしようと計画しているのです」

「でも、その妖怪の封印をどうやって解くのよ。どこに封印されているのかも分からないんでしょう」

「問題ありません。綿密な調査の末、封印の地は既に見つけております。封印の解き方も解明されています」

「それなら、どうして私に話をもちかけるのよ。あなたが勝手に封印を解けばいいじゃない」

「それがですね、蟲姫様、数多の蟲の統率者たるあなた様の力をお借りしないと封印は解けないようなのです。なんせ彼女は強力な妖怪でしたから、封印にも特殊な方法が使われたのです」

「力って、私に力なんて」

「蟲姫様、彼女の復活に尽力なされたとあれば、新たに蟲を率いる彼女から相応の地位を与えられることでしょう。一石二鳥です。この機会を逃す手はありませんよ」

「うーん」

「もしかして、私を信用なさっていないのですか」

「いや、まあ、うん」

「ああ、なんということでしょう。私はあなた様のことをこんなにも考えているというのに。私にはあなた様しかいないというのに。私を信じてください」

 リグルは正邪の話が本当だとは思えなかった。聞けば聞くほど詐欺師の言葉にしか聞こえなくなっていった。しかし、リグルはしばらく異変がなくて退屈していた。それに、天邪鬼はそれほど強くないと聞いていた。天邪鬼がよからぬことを考えていたとしても、倒して逃げてしまえばいいだろうと考えていた。暇つぶしにリグルは正邪の話に乗ることにしたのである。

「まあ、いいわ。信じることにする」

 ただ、心の片隅には、正邪の話が本当で、もしかしたら、自分の報われない生活を一変することができるかもしれないと考えていないこともなかった。冴えない自分を変える契機を探していたのは正邪の言っていたとおりだったのだ。

「さすが、蟲姫様。話が分かるお方です。それでは早速、封印のある場所にご案内申し上げます」

 正邪はそう言って、手のひらに火の玉を灯すと飛び立った。リグルもそれに続いた。もちろん、配下の蟲をこっそりつれてくることを忘れなかった。


 正邪にリグルがついて飛んでいくと、そこは無名の丘と呼ばれる淋しい場所であった。無名の丘は鈴蘭の群生地である。人の姿も妖怪の影も見当たらない。前に住み着いたという付喪神の姿はない。外出しているのだろうか。リグルはいよいよ怪しいと思った。人妖ともに近づかない場所ではあるとはいえ、こんなところに封印を隠すようなことがあるのだろうか。

「ねえ、本当にこんなところに封印されているの」

「普通、こんなところに隠されているだなんて思いませんよね。私も見つけるのに苦労しました。最初、私は彼女は地底に封印されていると思っていたのですが、地底の蟲妖が封印に手を出せないように、あえて地上に封印を隠したようなのです」

 正邪はそういってリグルを先導した。驚いたことに、正邪の行く先にはリグルも知らなかった洞窟があった。

「これは」

「どうやら発見されにくくなる術が仕掛けられていたようです。監視をしている者がいないことは確認済みです。私と蟲姫様以外にこの洞穴を知っている者はおりません。さあ、入りましょう」

 そういって正邪は洞窟の中に入っていった。岩の陰や闇の中に何かが潜んでいてもいいように、触角の感覚も研ぎ澄ませた。洞窟の中は思いの外整っていた。不思議と洞窟の奥から弱々しいながら光が入っている。足元に石が転がっているということもない。ぼんやりと見える壁も滑らかな感じがする。天然ではなく、何ものかの手によって掘り上げられたような雰囲気がある。

 洞窟の長さは短く、すぐに最深部に着いた。そこには大きな碑があった。リグルには理解できない文様が彫られていた。碑はほのかに光を放っていて、刻まれた文様はめまぐるしく色を変えていた。洞窟の奥の光源の正体はこの碑だったようだ。リグルは、碑に不思議な、それでいてただものではない大きな力が込められていることが分かった。正邪のまゆつば話がにわかに信憑性を帯びてきた。「まさか、本当にあったなんて」とリグルはつぶやいた。

「この碑に彼女が封印されているのです。この封印を解くためには蟲姫様のお力添えが必要なのです」

 リグルは碑を見つめながら「それで私はどうしたらいいの」と言った。リグルは碑に気をとられていた。それがいけなかった。それでは、鋭敏な触角があっても、数多の配下が洞窟の壁に隠れていても意味がない。

「なに、少し眠っていただくだけですよ」

 正邪はリグルの後ろにいつの間にか回り込んでいた。そして、リグルの後頭部に何かを振り下ろした。


 リグルは目を覚ました。固い床の上に自分が転がっているのがわかった。何故、こんな硬い石畳の上にいるのだろう。思考がまとまらない。その日の行動をなぞって少しずつ思い出し、最後に正邪と名乗る天邪鬼に林で出会ったことを思い出して飛び起きた。正邪は碑の前で何やら作業を行っていたようだが、リグルに気づいて向き直った。

「あら蟲姫様、お目覚めになられたのですか。そのままもう少しだけ寝ておけば何も気づくことなく平穏に終われたというのに。大切なお体に最小限の傷がつくだけで済んだものを」

 碑の放つ薄ぼんやりとした光が正邪を背中から照らしている。

「あんた、どういうつもりなのよ。やっぱり全部嘘だったのね」

 リグルは内心焦っていた。連れてきた蟲を呼び寄せようとしたが、蟲は何故か集まってこなかったのである。

「嘘じゃあありませんよ」

「じゃあ、なんで私を気絶させたのよ」

「蟲姫様、私はあなたに本当のことを言いましたよ。ただ、ちょっと言わなかったことがあっただけです」

「一体なんなのよ」

「この封印、ちょっと特殊なものでね、そのせいで彼女はほとんど力を失ってしまっているのですよ。体を失ってしまうほどに。だから、新しい体を調達する必要がありましてね。妖怪の本質は精神にありますが、蟲の妖怪は本質的に蟲であるからこそ、肉体がないと力が発揮されないようなのです」

「つまり私の体をその妖怪にあげようっていうの」

「理解が早くて助かります。分かりやすく言えば生贄みたいなものですかね」

「ふざけないで」

「ふざけてなどいません。妖怪の根本は精神ですから、肉体は最低限のもので十分です。あなたみたいな弱い妖怪の貧弱な肉体でも復活には問題ありません。むしろ、あなたにとってこれは身に余るほどの栄誉ですよ。あなたは力もおつむも弱いですが、蟲のリーダーとしての役割があったからこそ、彼女の肉体に適しているとみなされたということなんですからね」

「こんなことに付き合ってられないわ」

「残念ですねえ。もう少しで封印が解けるところなのに。その証拠にあなたの連れてきた蟲たちも、かの妖怪の復活を待ち望んで、あなたの言うことを聞かなくなってしまったのですよ。蟲たちも昔の弱々しいリーダーなんかより,新しくて強いリーダーを望んでいるのです」

「なんですって」

「さあ、おとなしくしてください。いくらあがいても無駄ですよ」

「あんたなんか倒してやる。蟲がなくたって天邪鬼くらいわけないわ」

 リグルは正邪に向かって飛びかかった。


 正邪に向かって急速に迫る。だが、リグルは突如減速してしまい、攻撃は正邪には届かなかった。リグルは気がつくと床に倒れ込んでいた。見れば、右足に何やら粘着性のある糸のようなものがついて、動きを封じている。

「天邪鬼にこんな芸当ができるなんて聞いてないわ。まるで蜘蛛みたい」

「蜘蛛みたい、じゃなくて蜘蛛そのものだよ」

 リグルが声のするほうに向くと、そこには少女の形をした者がいた。全体的に茶色っぽい服装をしている。手からは糸状の物体を出していた。リグルの動きをとめているのはその白い紐に違いなかった。

「お前は、もしかして土蜘蛛。なんでこんなところに」

 正邪は作業を再開して、後ろで転がっているリグルに話しかけた。

「リグルさん、蟲ではない、単なる弱い天邪鬼にすぎないはずの私が、歴史から消されたはずの封印について何故知っていたのか、不思議に思わなかったのですか」

「何が言いたいのよ」

「私は幻想郷をひっくりかえすための方策を見つけ出すために、幻想郷中を調べ尽くしたのです。その過程で私はかつて力を振るった古の蟲妖たちと出会い、隠された幻想郷の歴史を知ったのです。地底にいる皆様が地上の探索をするのは難しかったので、私が何とかこの場所を見つけ出したのです。それからは、蟲妖の皆様とともに封印を研究し、封印の解除方法を見つけ出したのです」

 作業を終えたのか、正邪はリグルの方に向き直った。

「気づかなかったのですか。ここにはもう私とリグルさんだけではないのです。名のある蟲妖の皆様が、彼女の復活を待って集まっているのです」

 リグルは正邪の言葉にしたがって寝転がりながらも辺りを見渡した。確かに、人の形をしたものから巨大な蟲の姿をしたものまで、数体の妖怪がいた。どれもこれもいやらしい笑みを浮かべている。今まで何故、その存在に気づかなかったのか不思議なくらいに、その妖怪たちが強い力をもっているのをリグルは感じとった。もしかして、強力だからこそ、存在を悟られないようにリグルを見物することができたのだろうか。リグルは妖怪たちの視線を振り払うように正邪の方へ向き直った。

「そして、リグル、あなたのおかげで彼女の復活が今、成し遂げられようとしているのです」

 正邪の言葉が終わると同時に、碑が壊れ、砂ぼこりが舞った。砂は芋虫のように転がっているリグルの上に降り注いだ。リグルは咳き込んだが、その砂ぼこりの中から、小さな影が飛び出すのを見逃さなかった。それは、一見すると小さな蜂のように見えた。しかし、その蟲は、リグルが今までで一度も見たことがないものだった。蟲の腹には長い管のような器官がついていた。蟲の姿を認めた蟲妖たちがどよめいた。

 蟲はリグルの方へ飛んできた。リグルは手を振って蟲を追い払おうとした。しかし,再び蜘蛛の糸がかけられた。土蜘蛛は糸を巧みに操り、リグルをあおむけに地面に縫い付けた。リグルは両腕と両足と首に糸が付けられて、もはや動くことができなくなった。蟲はリグルの額にとまった。リグルは自分の額の上を蠢く小さなものの重さを感じて悲鳴を上げた。

「い、嫌」

 正邪はリグルに近寄って、リグルの顔を覗き込んだ。リグルの見開かれた瞳に正邪の笑顔が映り込んだ。

「良かったじゃないですか、リグル。お前のような雑魚妖怪風情が彼女の復活に、もとい幻想郷の新たな時代の創設に貢献できたんだから。もっと喜べよ。泣いて喜んだっていいんだぜ」

 正邪の言葉に合わせたように、蜂のような蟲がリグルの額に腹部の管を突き立てた。痛みを感じたのか、リグルは顔をしかめた。もし蟲の様子を近くで観察していたならば、蟲の腹が脈打つように動いていたのが分かっただろう。産卵を終えた蟲はその後、まるで動く気配を示さなかったが、リグルには変化が生じていた。顔はひきつり、押しつぶされた鼠のような声を上げていた。蜘蛛の糸で拘束していなかったら、激しく暴れだしていただろう。リグルの虚しい抵抗も長くは続かなかった。リグルは

「どうして私がこんなめに」

とぽつりと口にした。そして、目から一筋の涙が流れた。それから、リグルは動かなくなった。


 しばらくすると、リグルの体は痙攣を始めた。口元は緩んで汚れ、涙に濡れた目はぐるぐると動いていた。痙攣のために蜂のような蟲の死骸がリグルの額から転げ落ちたが、誰も気に留めなかった。土蜘蛛が糸を回収しても、リグルが意思をもった動作をする気配はなく、しばらくすると痙攣や目の動きさえも止まった。蟲妖たちはリグルの動かない肉体を黙って見ていた。

 数分間、リグルは単なる少女の死体のような状態でいた。正邪が焦燥感に駆られ、逃げ出そうかと思案し始めた頃、リグルの様子が変わった。リグルのぼっかりと開いた口から、白くて細長いものが何本も伸びてきたのだ。数多くの光沢のある紐状の物体はリグルの体の上を蛇のように滑ると、リグルの体に巻きつき始めた。糸は徐々に数を増し、糸同士が絡まり合い、リグルの体を覆いつくした。しまいには、リグルを取り囲むようにドーム状の形になった。繭のように見えるそれの大きさは人間の少女と同じくらいで、さながら棺のようでもあった。大きな繭の中からは、水を含んだものを床に叩きつけたような音が漏れ出していた。微かに鉄の錆のような臭いもした。

 繭の中の奇妙な音は一時間ほど続いた。その間ずっと、蟲妖たちは繭を見守り、正邪は岩の陰から繭の様子を見ていた。音がやむと、繭からは人間の腕のようなものが飛び出した。腕の大きさは少女のものにように見える。更にもう一本腕が飛び出して繭を掴んだ。そして、二本の腕が繭を勢いよく引っ張ると繭はあっさり破れた。そして、繭の裂け目から少女の形をしたものが起き上がって出てきた。その少女の服装は、ところどころに血飛沫がついている以外は、リグルのものと全く同じであった。顔つきや背格好はリグルと似ていたが、その瞳は鉄の錆のように暗い赤色で、触角にはいくつも突起があった。しっとりと濡れた長い髪は、動脈から流れ出す血液のように鮮やかな赤色をしていた。蟲妖たちは彼女の鋭い目つきに過去の情景を思い起こし、歓声を上げた。彼女はそれを見て、非常に愛らしい笑みを浮かべた。


 幻想郷に新たな異変が発生した。ここで語られた物語はその異変の最初の出来事である。結局のところ、異変はいつもどおりに人間によって収束させられた。騒ぎを起こした蟲妖たちは復活した蟲の女王とともに適当な場所に落ち着いた。正邪は蟲妖たちと行動を共にしていたが、異変が終わる間際に再び姿を眩ました。その後も、幻想郷には度々異変が生じるものの、基本的には平和だった。

 しかし、事件の影で殺された一人の妖怪については、決して語られることはなかった。

戻る